2022.9.3

主 題:「迫害する者が 迫害される者へ」

聖書箇所:使徒9・19b~31

 

(はじめに)

突然に、天からの光がサウロを手さし、彼は地に倒れ伏しました→するとそこへ「サウロ、サウロ、なぜ、わたしを迫害するのか。」…これは神の「人への呼びかけ」でした。その光の衝撃で倒れたサウロは三日間、何も見えなくなった中、祈っていたのです。

そのサウロのためにダマスコの弟子アナニヤを用いられました。そして、アナニアがサウロに手を置いて祈ると、サウロの目は元どおり見えるようになりました→ここに「目からうろこのようなものが落ちて」とあります

→サウロはまさに「目からうろこ」で見えるようになったのですが、

  →「まことの神は主イエスであるということが、目からうろこが取れるようにはっきり分かった」ことでした。

 サウロの回心は主の選びの劇的な出来ごとでした。サウロはすでに旧約をよく知っており、天地を造られた神を知っていたのです→サウロの知る「その神が…イエスであることを知らされる」それがこの劇的な出来事の意味でありました、ですね。

さあ、それに次ぐ今日の箇所では、そのサウロはどうなるのでしょうか…

 

1.    回心し、直ちに伝道するサウロ (19b~22)

19 …サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちとともにいた。

20 そしてただちに、諸会堂で、イエスは神の子であると宣べ伝え始めた。

なんと…

回心したあのサウロは、いきなり主イエスのことを伝道し始めたのです。「諸会堂で」とありますから、彼はユダヤ人たちの会堂に行っては、主イエスこそまことの救い主、神の子であると宣べ伝えたのですネー

ところが…

21 これを聞いた人々はみな、驚いてこう言った。「この人はエルサレムで、この御名を呼ぶ者たちを滅ぼした者ではありませんか。ここへやって来たのも、彼らを縛って、祭司長たちのところへ引いて行くためではないのですか。」

当然、サウロの語ることを聞いた人々は、自分の耳を疑いましたネー

何故なら、サウロはキリスト教を迫害する者として、すでにユダヤ人の間では有名になっていたからです。今まで迫害していた教えを、急にこれこそ真実だと語り出しても、そのことばをまともに聞く人はいなかったと思いますョー→しかし、サウロは語ることを止めませんでした。

22節を見ると、「しかしサウロはますます力を増し、イエスがキリストであることを証明して、ダマスコに住んでいるユダヤ人たちをうろたえさせた。」とあります。

 

さあ、皆さん、サウロは回心し洗礼を受けてキリスト者になると、すぐに伝道を開始したと記されています:

1)私たちはこのことにまず注目したいと思いますネー

  私たちは、伝道はキリスト教について全てを良くわかってから始めるとそう思い込んではいませんか→そうではないのです

  ではそのサウロは何を確信したからなのでしょうか? 

2)サウロはこの時、主イエス・キリストとの出会いにより、次の三つの点について確信を与えられていたと思いますネ:

主イエスはまことの神、まことの神の子であり20節)

・主イエスの十字架により、自分の罪は赦された18節)

・旧約聖書が指し示していた救い主は、このイエス・キリストだ18節)

救われたばかりのサウロも、この三つの点ははっきりと分かっていたことが分かります→わかっただけでなくそれを語り続けたのですネー

 

ここから皆さん、私たちは次のことを学ばせていただきましょう:

・救われたキリスト者は伝道する者として召されているのです

 主イエスは言っています

「わたしはぶどうの木で、あなたがたはその枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結ぶのです。」(ヨハネ15・5)のたとえのとおりです

・救われた私たちは、誰でも伝道できるのです

自分の愛する人、友人、自分と関わりのある人などに…

 

2.迫害されるサウロ (23~30)

 2.1 ダマスコでの迫害(23~25)

23 多くの日数がたって後、ユダヤ人たちはサウロを殺す相談をしたが、

24 その陰謀はサウロに知られてしまった。彼らはサウロを殺してしまおうと、昼も夜も町の門を全部見張っていた。

25 そこで、彼の弟子たちは、夜中に彼をかごに乗せ、町の城壁伝いにつり降ろした。

 

多くの日数がたってのちと語ります…

→後にパウロによって書かれた(ガラテヤ115節以下に)、彼が回心した直後のことが記されております:

17 先輩の使徒たちに会うためにエルサレムにも上らず、アラビヤに出て行き、またダマスコに戻りました。

18 それから三年後に、私はケパをたずねてエルサレムに上り、彼のもとに十五日間滞在しました。

とあります。

 つまりサウロは、少しダマスコで伝道した後、アラビアに行った。そして、ダマスコに再び戻って、そこで命をねらわれるという体験をしたということなのだと思います。

→サウロは回心して洗礼を受けてから、すぐに伝道を開始した。しかし、その始めの頃はダマスコでも、アラビヤでも成果があまり上がらなかった。そういうことではないかと思われますネー

 

そのサウロが当時伝道の対象としていたのは、ユダヤ人でした。そのユダヤ人からさっそく、サウロに対する反対運動が起きました。そのためにサウロはダマスコから脱出しなければならなかったのです…

→この事件については後年にサウロ自身が記しています:

(Ⅱコリント11・32~33)

 ダマスコではアレタ王の代官が、サウロを捕らえようとしてダマスコの町を監視しました。そのときサウロは、城壁の窓からかごでつり降ろされ、かれらの手を逃れました、とサウロは告白しています

 

 そのダマスコにおけるサウロへの迫害はユダヤ人から起きましたが、同時にこの地方を支配していたアレタ王がユダヤ人の要求を受け入れ、サウロの逮捕にその権限を利用して協力することになったのです…

→町の門がすべて見張られている中で、すでにサウロの伝道によりキリスト者となった者の一人で、町の城壁に接して建てられた家を所有している者が、その家の窓から、城壁に沿って、サウロをかごでつり降ろし逃がしたのです…

→サウロはキリスト者の一人に助けられ、なんとかダマスコから逃げ延びたのですネー。

 

2.2 エルサレムでのサウロ(2627)

26 サウロはエルサレムに着いて、弟子たちの仲間に入ろうと試みたが、みなは彼を弟子だとは信じないで、恐れていた。

  ダマスコ脱出に成功したサウロは、そのままエルサレムへ行った。その地で、エルサレム教会のキリスト者と信仰の交わりを持とうとしたが、皆は彼サウロを弟子だとは信じないで、恐れていました→無理もないことでした

→かえって、サウロのキリスト者の交わりに加わろうとしたことや、友好的な態度を、ユダヤ当局の陰謀などとさえ、みなしたのでした

→「サウロの回心や新生」を考えたキリスト者は…まずいなかったのです

 

こうしたサウロの困難な状況の中で、タイムリーに登場した人物がいた→「バルナバ」です:

キプロス生まれのレビ人で使徒たちからバルナバ(慰めの子)と呼ばれたヨセフです(使徒436 

 バルナバは以前からサウロを知っており、彼の回心が真実なものであることを知ってたのでしょう。そこで彼はサウロの保証人となるような働きをしてくれました。

その慰めの子バルナバは、主が選ばれたサウロを使徒たちのところへと連れて行き、教会へと導いていったのです。

 皆さん、

 直接主によって回心され、救われたサウロですが、一人独自で伝道することだけでなく、救われた仲間の居る教会へと導かれて、使徒たちはじめ人々に紹介されたことでしょう→これは主の導きでした

 

3. エルサレムでのサウロへの迫害(28~29)

 28 それからサウロは、エルサレムで弟子たちとともにいて自由に出はいりし、主の御名によって大胆に語った。

 29 そして、ギリシヤ語を使うユダヤ人たちと語ったり、論じたりしていた。しかし、彼らはサウロを殺そうとねらっていた。

   

 バルナバの仲介と保障によって、キリスト者の仲間入りができたサウロは、エルサレムの町でも「主の御名によっ

大胆に語った」と記されています。

サウロがその時に伝道の対象としたのは「ギリシャ語を使うユダヤ人」→“ヘレニスト”でした。 

サウロはステパノの活動の継続するという立場に立っていました。直ちに、レニストの側から反撃が開始された…

→ヘレニストからすれば、サウロは転入者であり、その存在をゆるしておくことはできなかったのでしょう…

→彼らはサウロを殺そうと狙っていました

そこで…

30兄弟たちはそれと知って、彼をカイザリヤに連れて下り、タルソへ送り出した。

 

兄弟たちはサウロのことが分かっていないカイザリヤに連れて帰り、サウロの生まれ故郷タルソ(使徒22・3)へと送り出したのです→今日の聖書箇所はここまでです。

 

それでは、今日の聖書箇所をまとめてみましょう…

「サウロ、サウロ、なぜ、わたしを迫害するのか。」→これは主の「人への呼びかけ」でした。そして、サウロは回心しバプテスマを受けました。 

その神主イエスは…回心と召命を経てキリストの弟子とされるには、しばしば苦しみを伴うことを示しています。

すなわち傲慢なサウロは前もって、彼を招いたキリストのために多くの苦しみを受けなければならないと警告されていました:

16彼がわたしの名のために、どんなに苦しまなければならないかを、私は彼に示すつもりです。」(916

 この予告通りに、回心し召命を受けたサウロの身に実現してゆきます:

 ・サウロは殺害計画の標的とされるだけではなく

 ・キリストの出来事を伝えようとして、これ以降いたるところで脅迫と敵意に会うことになるのですネー

 

 今日の箇所を通して、私たち教会につながる者は、サウロの回心と召命を通して、主なる神は福音を広め伝え、神

国をたてあげる手段として、苦難や迫害さえも用いることがあるのだということを、私たちは心にとどめたいと思

ます、ネ:

 ・主はその苦難や迫害に耐え、またそれに勝利することができるようにしてくださいます→耐えることができる信

  仰をあたえてくださいますョ:(エレミヤ2911

 「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。-主の御告げーそれはわざわいの計画

  ではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」

 ・そして、教会の力と合わせて

  →(世界)宣教への道を開いてこられましたです、ネ

 

今日はここまでとします。さあ、私たちもキリスト者であるばかりに、困難にあっている人、苦難にあっている人びとのためにも、熱心に執り成しの祈りをしてまいりましょう。 アーメン

 

 


2022.9.17

タイトル:ペテロの異邦人宣教のはじまり 」

聖 書:使徒10・1~48

 

1.  コルネリオへの幻(1~8)

コルネリオは、ローマの軍団「イタリア隊」の百人隊長でした。ローマの軍団の正規兵は皆、ローマ市民でありましたから、彼はまさしく異邦人であります。しかし、2節に「信仰心あつく、全家族そろって神を畏れ、ユダヤの人々に多くの施しをし、いつも神に祈っていた。」とありますので→ユダヤ教の神を信じその安息日礼拝に集っていた人のようでした。 

コルネリオは、ある日祈りの中で、幻で御使いに会います。そして、御使いから、「ヨッパへ人をやって、ペテロと呼ばれるシモンを招きなさい。」とのお告げを受けたのです。

コルネリオは、幻の中の御使いに言われたように、二人の召使いと、信仰心のあついユダヤ教を信仰していた→一人の兵士をヨッパの使徒ペテロの所に送りました。

 

2.ペテロの働き

2.1 ペテロのみた幻(9~16)

一方、ペテロはヨッパの町におりました。コルネリオから遣わされた三人がヨッパの町に近づいた頃、ペテロもやはり幻を見ました;

11見ると、天が開けており、大きな敷布のような入れ物が、四隅を吊るされて地上におりてきた。

12その中には、地上のあらゆる種類の四つ足の動物や、はうもの、また、空の鳥などがいた。

 

四隅をつるされた大きな敷布のような入れ物が天から下りて来るというものでした。そして、

13「ペテロ。さあ、屠って食べなさい。」との声がしました。

14しかしペテロは、「主よ、それは出来ません。私はまだ一度も、きよくない物や汚れた物を食べたことがありません。」と答えました

 

この食べることが出来ない汚れた動物のリストは、(レビ記11章)に記されており…らくだ、岩だぬきとか、野うさぎとか、豚とか、カラス類、こうもりや虫とかはダメだと記してあります→多分、天から下りて来た大きな敷布のような入れ物には、そのようなものがたくさん入っていたのだと思います。

 

ペテロがとんでもないと断りますと…

15「神がきよめた物を、きよくないなどと、言ってはならない。」と声がしたというのです…

しかも、このようなやり取りが三度あったというのです…三度ですから、これは確かなこととして示されたということでありましょう→しかし、ペテロはこのときはまだ、どおいうことかわかりませんでした

 

.2 教会の働き(17~33)

1) ペテロの行動の仕方

ペテロは今見た幻は一体なんだろうと思い巡らしているとき…

19御霊が彼にこう言われた…三人の人があなたを尋ねてきます、と…

20だからためらわずに、彼らといっしょに行きなさい。彼らを遣わしたのはわたしです

23それで、ペテロは、彼らを中に入れて泊まらせた。

 

明くる日、ペテロは立って彼らといっしょに出かけた。ヨッパの兄弟たちも数人同行した

→(1112)ヨッパに在住の6人のキリスト者も彼らに同行した

ペテロは決して自分一人ではなく、教会の者たちと共に行動した

教会の働きとして行動している

 

2) 神が清めた者

コルネリオは、ペテロが着くと、彼の足もとにひれ伏して拝みました。しかし、この時ペテロはコルネリオにこう言

います→26「お立ちなさい。わたしもひとりの人間です。」

コルネリオは異邦人です。今までのペテロならば、汚れた者と思っていた人なのです。その異邦人であるあなたに

「お立ちなさい。私もひとりの人間です」、と,ペテロが言ったのです→驚くべき言葉ではないでしょうか

 

ペテロは続けて言います;

28「ご承知のとおり、ユダヤ人が外国人の仲間に入ったり、訪問したりすることは、律法にかなわないことです。ところが、

  神は私に、どんな人のことでもきよくないとか、汚れている者とか言ってはならないことを示してくださいました。」

 

ここに、新しくされたペテロの新しい感性ではないでしょうか:

・ペテロは、天から下りて来た「大きな敷布のような入れ物の中の動物などの幻」の意味を悟ったのです、すなわち

・神が告げられた「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない。」×3とは…

食べ物のことではなく→「異邦人のことを示しているのだ」、

きよい、汚れている→は神が定めることなのだ、と

 

ペテロは、異邦人伝道とは=異邦人も又救われるということ→このことが神の御心である、とここではっきりと悟らされたのです。そして、ユダヤ人と異邦人とが、同じ人間として神の御前、主イエスの十字架のみ前にあることを言い表したのです。

 

3) 伝道する者が変えられる

ペテロは変えられました…このことが、異邦人に伝道するためにはどうしても必要なことだったのです…

私たちは、伝道というものは相手を変えることだと思っているかもしれません。しかし、今日与えられている聖書はその様には告げてはいません;

・相手が変わるかどうか、それは神の御手の中にあることです

・大切な 根本的なことは→「私が変わる」ことだ、と  

言い換えるなら→救われて神の子とされた私たちは、感覚、感性を含めてその言動は、キリスト者としてふさわしく変えられることです:

→教えてやるから仕える者に変えられること

→その時、全てのことや業は スムーズに流れ出していくことでしょう

 

ペテロが、キリストの教会が…いつまでも異邦人を汚れた者と見ていたのなら、キリストの福音が、どうして異邦人

に伝えられていくことが出来たでしょうか


ペテロは、コルネリオにどうして自分を招いたのかと尋ねました。

コルネリオは、祈りの中で御使いが現れ、ペテロを招くように告げられたことを話しました…

→ペテロもコルネリオも、共に不思議なように主に導かれて、こうして出会ったことを知ったのです

→この出会いは偶然ではなかった…主の導きであったのですネー

 

私たちがキリストの福音に出会うのに、偶然などないと思います

→神の導きという、神の御手の中の必然によって、私たちは出会いを与えられ、救われた…そう言えるのではないでしょうか、アーメン?

 

3.異邦人への宣教の業(34~48)

.1 ペテロの説教(34~43)

34「これで私は、はっきり分りました。神はかたよったことはなさらず、

35どの国の人であっても、神を恐れかしこみ、正義を行う人なら、神に受け入れられるのです。

36 …このイエス・キリストはすべての人の主です。」

 

これは、実に驚くべき第一声でした

・ユダヤ人以外の異邦人は救われない→当時のユダヤ教の常識でした

・ペテロもその常識の中に生きていたのです

 

しかし、コルネリオと出会う直前に神はペテロに;

・大きな敷布の中に汚れた生き物を見せました

・食べてはならないと律法に記されていた(レビ11章)生き物を入れた幻を見せ

・これを食べよと命じられました

 

ペテロは、この幻が何を意味しているのか はじめは分かりませんでした→が、コルネリオに招かれ…

コルネリオもまた御使いのお告げによって自分を招いたことを知らされ→この幻の意味を悟ったのです

 

43イエスについては、預言者たちもみな、この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられる、とあかししています。

異邦人も神が造られたものであり、神は異邦人をも救う

→神はこの御心を示す為に、あの幻を自分に与えられたのだ、とペテロは悟ったのです

皆さん…

→このペテロの変身・悟りのゆえに…主イエスの異邦人宣教が広まり

→世界宣教へと、この遠い国日本にもたどり着き→私たちもそのみ救いに与ることができました ハレルヤー!! ではありませんか!

 

.2 聖霊が注がれる(44~48)

44ペテロがなおもこれらのことばを話し続けているとき、みことばに耳を傾けていたすべての人々に、聖霊がお下りになった。

45割礼を受けている信者で、ペテロといっしょに来た人たちは、異邦人にも聖霊の賜物が注がれたので驚いた。

46彼らが異言を話し、神を賛美するのを聞いたからである。

 

このペテロの説教の後、驚くことが起きたのです…

 →ペテロの説教を聞いていた者たちの上に聖霊が降ったのです!

 →そして、その人たちは「神を賛美した」のです

 →神を、主イエスをほめたたえるというのは…実に、聖霊を注がれ、信仰を与えられている確かなしるしと言える

  でしょう。

 

この様子を見た、ペテロと共にヨッパから来ていたユダヤ人キリスト者たちは皆、驚きました→異邦人にも聖霊が注がれるのをはっきりと見たからです

 

そして、ペテロはこう告げました;

47「この人たちは、私たちと同じように、聖霊を受けたのですから、いったいだれが、水をさし止めて、

  この人たちにバプテスマを受けさせないようにすることができましょうか。」

  そして、彼らはイエス・キリストの名による洗礼を受け、キリスト者となったのです。

洗礼の前に、聖霊が注がれ、主イエス・キリストに対する信仰が与えられたのです。ペテロは、この聖霊なる神の御業に導かれ、これに従っただけです。

まず聖霊が働かれるのです。キリスト者は、キリストの教会は、いつも、この先立たれる聖霊なる神に導かれて歩んでいくのです。

聖霊の導きの中で、ペテロは、本当に神は分け隔てなさらない方であることを知らされました。そして、彼は変わった。変えられたのです。

 神の愛と真実は…まことに大きく、救われた罪人の私たちには…少しずつしか分かりません。しかし、少し分かるたびに、私達は変えられ、キリスト者として成長していくのではないでしょうか。

 

4.コルネリオの救いは世界宣教のはじまり

 この時、コルネリオにとってペトロとの出会いは、自分や、家族や友人の救いということしか意味しなかったでしょう。コルネリオはこの時、まだ「事の重大さ」には気付いていなかったと思います。

彼はこの時、自分が救われること、親族・友人が救われることの喜びでいっぱいでした。しかし、この出来事は、コルネリオの思いをはるかに越えて、全異邦人の救いへの一歩となったのです:

 ・主は、コルネリオの祈りを聞きつつ、すべての民を救うという御自身の救いの業を始められたのです

・ここから教会は、全異邦人の救いへと、そして異邦の国日本の私たちの救いへと一歩が踏み出されて行くことになったのです

皆さん

私たちも又、コルネリオのように主の救いの御業に用いられるために、先に救われ、立てられていることを確認したいと思います:

1)    私たちが救われたということは→ことはそこでは終わりではないのです。そこから始まっていくのです

2)    私たちの救いは、ここでは終わらない。もっと大きな救いの出来事へとつながっているのです

その主なる神のみ業に用いられることを願い、待ち望みつつ、この一週も神の国に向かって、共に歩んでまいりたいと思います。

今日はここまでとします。

 

 


2022.9.24

タイトル:「 アンテオケ教会の設立 」

聖 書:使徒11・19~30

 

(はじめに) 

 10章に至りそれまではユダヤ人のみに語り伝えられていた福音は、初めてペテロの異邦人宣教へと新たに踏み出し

て行きました。

そして、今日読んでいただいた11章に至り、いよいよアンテオケの地に最初の異邦人教会が設立され…ここが異邦人宣教の中心となって行き、そしてこの「使徒の働き」の舞台は→エルサレム教会からアンテオケ教会へと移されてゆくことになります即ち、このアンテオケ教会が、次の異邦人伝道の拠点の教会、また宣教師を送り出す教会となっていきます。

 それでは今日の聖書箇所11章に入ってまいりましょう。

 

1.アンテオケの街

アンテオケは当時人口50万人をかかえた大都市であり、ローマ→アレキサンドリヤに次いで世界第3番目の国際都市でありました。



  

 この都市は地中海から24キロ入ったオロンテス川の河口に位置した交通の要衝都市であり、シリヤの首府として栄え、多種の人種・民族の集まった国際都市であり、道徳的には…歓楽と堕落が満ち満ちた街でありました。

キリスト者により世界宣教の拠点となった最初の街は、このような所でありました。福音は 混沌とした暗黒の土地に→いや、そのような闇のゆえに、いよいよ光り輝く神の恵みを意味するもの なのでしょうか?

皆さん、

日本伝道隊・湊川伝道館は…終戦後の焼け跡の神戸・湊川の地で、本田弘慈先生は米進駐軍用の大きな軍用テントを見つけて喜び→払い下げてもらい…あの神戸の歓楽街の本通りにテントの伝道館を立て、伝道しました。そして、今では立派な会堂がたてられています。

私も神学校卒業後の塩屋キリスト教会の伝道師時代に、その湊川伝道館からの要請に応じ伝道手伝いに行きました:

・通りがかりの人々に声掛け招き→会堂に招き入れ

・メッセージを語りましたネー

その熱心な伝道に、やはり止むことなく人は導かれていきました、ネ

 

2.アンテオケ教会の設立(19~26)

.1 教会がたった

19さて、ステパノのことから起こった迫害によって散らされた人々は、フェニキヤ、キプロス、アンテオケまでも進んで行ったが、ユダヤ人以外の者には、みことばを語らなかった。

 

このアンテオケの街にも、ステパノの殉教から始まった迫害によってキリスト者が逃げて来ました。そして、この地

においても福音を宣べ伝えていた、と思われます。

逃げて来た人々は、ギリシャ語を話すユダヤ人で“ヘレニスト”と呼ばれる人々であったと考えられます。彼らはギ

リシャ語を話しはしますが生粋のユダヤ人です。彼らは、初めのユダヤ人キリスト者がそうであったように、最初の

うちはこの町に住むユダヤ人たちに対してだけ…キリストの福音を伝えていました。 

20ところが、その中にキプロス人とクレネ人が幾人かいて、アンテオケに来てからはギリシャ人にも語り掛け、主イエスのことを宣べ伝えた。

 

20節ではフェニキヤ、キプロス島やクレネ…これはエジプトの西隣国リビヤの町ですが、そこの出身であるユダヤ人キリスト者が、異邦人にも福音を伝え始めたというのです…

→名もない信徒がこの業を始め、アンテオケに教会が誕生したのです

→神の導きの御業としか考えられません、ネ

 

実際は、国際都市アンテオケという街です、そこには数知れぬ問題や、圧迫や苦しみや退廃が渦巻いた街ですから、福音の呼びかけに、少なからぬ数の異邦人が神を求めてやって来ていたと思われます。

そして;

→その人たちに主イエスの福音が受け入れられ、救われた

→その救われた異邦人が、また友人の異邦人を連れて来るという具合に、どんどん救われた異邦人が増えていった

そのことを、聖書は…

21主の御手が彼らとともにあったので、大勢の者が信じて主に立ち返った。

と語っているのではないかと思います。

ユダヤ人のようには 律法は知らない民に対し、主が私たちと共にあるとき、聖霊の導きによりそうなって行くと信じています私は、異邦人伝道とはそのようにしてすすんで行くものと思いますネー

 ここで言えることは;

・このキプロス島出身やクレネ出身のキリスト者は、本当に主イエスに救われた喜びのゆえに、福音を伝えないではいられなかった

・そして、そのように生きた→彼らは信じていることを語り、信じているように生きた

・そこに、キリストを信じる者が起こされた…それは、聖霊に導かれた者による出来事ではないでしょうか

 

.2 バルナバの派遣

22この知らせが、エルサレムにある教会に聞こえたので、彼らはバルナバをアンテオケに派遣した。

23彼はそこに到着したとき、神の恵みを見て喜び、みなが心を堅く保って、常に主にとどまっているようにと励ました。

24彼はりっぱな人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。こうして、大ぜいの人が主に導かれた。

 

ここに至り、エルサレムの教会はバルナバをアンテオケに送ります→その確認のために、バルナバが遣わされてきました;

・「キリストの教会」というのは、その始めから、エルサレム教会を中心とした「一つの信仰」によって結び合わ

  された群れだった

 ・アンテオケの教会が、外れた道を歩んでいないかどうか
エルサレムの教会から遣わされてきたバルナバは、アンテオケの…信仰を与えられた人々と出会い、喜びました。彼

らに神の恵みが与えられていることを見たからです;

 ・神の恵み→内住する聖霊の助けによる幸い、喜び

・主イエス・キリストをほめたたえ、主イエスに祈りをささげ、

・主イエスの言葉に従って生きている姿をバルナバは見た

→そして、ここに神の救いの御業を見たのです

また、バルナバが語ったことは注目すべきです。バルナバは「みなが心を堅く保って、常に主にとどまっているよう

にと励ました」とあります→キリストの教会は、その始めから;

・キリストを信じる者が生まれさえすれば良いとは考えてはいなかったのです

・その信仰者が生涯キリスト者であり続けること、そのことを眼目としていたのです

 

皆さん、信仰は永遠の神との契約であり、永遠のいのちに連なり、永遠の住まいへ招かれることでありますから→途中で信仰から離れてしまえば、永遠のいのちの約束は果たされるのでしょうか?;

・そんなことでは、回心して与えられた信仰はまったくのムダになってしまうのです

・信仰は一時の心の高揚のようなものではないのですネ。生涯キリストと共に、キリストの救いの恵の中に留まり続ける歩みなのです

皆さんアーメンですか…アーメンです、ネ

 

.3 キリスト者と呼ばれる

26b弟子たちは、アンテオケで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。

私たちがキリスト者、クリスチャンと言っている呼び方がここで生まれたのです→逆に言うと、それまではキリスト者、クリスチャンとは呼ばれていなかったということです、ネ.

この時まで、周りの人はキリスト教をユダヤ教の一派としてしか見ていなかったし、自分たちもそんな風にしか考えていなかったのではないかと思います。

ですから、名前もなかった;

・多分、ファリサイ派やサドカイ派のように→ナザレ人イエスを信じる者たちということでナザレ派

・あるいは信徒たちがガリラヤ出身だったのでガリラヤ派

というように呼ばれていたかもしれません、ネー

しかし、この街で彼らは改めてキリスト者、クリスチャンと呼ばれるようになった。それはなぜでしょうか?;

 ・キリストに救われ→その恵みに、じっとしてはいられなかった

・きっと彼らは、口を開けば「キリストは」「キリストが」と語っていたのでしょう

・彼らはキリストを信じる喜びを語り、語ったように生きていた

→こんな名が付けられる程に、彼らの信仰は生き生きとしていた、と思われます、ね

私はキリスト者→何と幸いなことでしょう。アンテオケ教会の人達がこの様に呼ばれたように、私たちもこの名に恥じない歩みをしてまいりたい、そう思っています…

 

(私の証)この教会に遊びに来る子どもたちの…私を呼ぶ呼び方キリストのおっちゃん

 

.4 サウロを探しに行くバルナバ

25バルナバはサウロを捜しにタルソへ行き、

26彼に会って、アンテオケに連れて来た。そして、まる一年の間、彼らは教会に集まり、大勢の人たちを教えた。

 

バルナバは、このアンテオケ教会に集う人々を教え導くために、一人では手が足りないと思ったのでしょう→以前に回心してエルサレムの教会に自分が紹介したサウロ(後のパウロ)をタルソまで行って見つけ、一緒にアンテオケでの伝道と牧会をすることにしたのです。

 この一年間の教えの時が、アンテオケの教会と、後に伝道者として公に歩み出すパウロ、そしてバルナバにとって、とても大切な時だったのではないかと思います→皆さん…生まれたばかりのアンテオケの教会…このアンテオケの教会が、エルサレムの教会に次ぐ、二番目のキリスト教会です。

この生まれたばかりのアンテオケの教会が、キリストの教会として整えられていくためには、どうしても…この二人の優れた伝道者による一年間の指導というものが必要だったのです;

・自分たちは何を信じているのか

・聖書をどう読むのか

・自分たちはどのように生活するのか…

そのような一つ一つのことについて、バルナバとパウロからの指導が必要だったのです。二人は、主イエス・キリストの預言として、聖書の解き証しを精力的にしたに違いありません。

これにより、エルサレム教会とアンテオケの教会の「信仰の同質性」、が保証されることとなりましたですネー

  

3.エルサレム教会への援助(27~30)

 その二人の一年間の成果の一つが、27節以下にあります→エルサレム教会に対しての援助ということだったのです。キリストに救われた者として愛に生きる。信仰において互いに一つに結ばれている。このことは、口で唱えているだけでは仕方がありません

→彼らは、この信仰に生きるということはどういうことなのか、それをエルサレム教会に救援の物(献金)を送るという形で示したのです。

このように、神に対しての愛、兄弟への愛、神への献身ということは→この具体的なところにおいて表れなければ、力にならないし、身についていないということになるのではないでしょうか

エルサレム教会からの信徒によって、またエルサレム教会から遣わされたバルナバによって、キリストの救いに与り、信仰の訓練を受けたアンテオケの教会の人々は…

→その恵みに感謝し、エルサレムの教会の人々を援助したのです。この援助は信仰の表れであり、感謝のしるしだったのです

  やがて、このアンテオケの教会から、後に異邦人伝道への宣教師が派遣されていきます。アンテオケの異邦人の救い、教会の設立は、次の神の救いの業へとつながっていくのです…

皆さん

その延長線上に、この岩出の地に至り→上岩出教会が立てられました。そして、私達が救われましたです、ネ。しかし、その後もいろいろな紆余曲折があり現在に至っていますが、これで終わることではないのです

→次があるのです:

・この神の救いの御業に用いられるために、私達は神の訓練を存分に受けて、キリストに従って生きる生活を整え

  られてまいりたいと思います

 ・いつでもキリストを語り、キリスト者と呼ばれるにふさわしい歩みを、主の御前にささげてまいりたい。そう心

    から願うのであります。アーメン