2022.6.4
主 題:「聖霊が降った→教会ができた」
聖 書:使徒2章 聖書朗読:使徒2:32~42
(はじめに)
“イエスさま”はこの地上へ人のかたちをとって「神の子」としてこられましたが、その目的は何でしたでしょうか?次の2つのみことばから考えてみましょう:
ルカ8・ 1イエスは神の国を説き、その福音を宣べ伝えながら、町や村を次から次に旅をしておられた。12弟子もお供した。
マルコ1・15「時が満ち、神の国が近くなった。悔いあらためて福音を信じなさい。」
この言動からその目的は次の3つに集約できるでしょう:
1) 神の国を説きあかし、神の国に生きる幸いと平安を伝えること
2) その神の子イエスを信じ 救われなさい
3)「神の国の福音を」すべての人に伝えること
そのために12弟子を選ばれ、旅にもお供させてきたのですが、その弟子たちの期待にはずれ、「主イエスは十字架で殺されてしまいました」ですネー。さて、3つ目の目的のためには多くの人の働きが必要ですが、そのために主イエスは何を語られたでしょうか?
1. 聖霊が降った(1~3)
そのイエス様は十字架にお架かりになった 三日後に復活されました。ご自分が生きて みんなを見守っていることを四十日間にわたり弟子たちに示され、またエマオへの途上の二人の弟子たちと共に歩かれ、5百名の人びとの前にも現われました。
そのよみがえられたイエス様は天に昇られる前にこう約束されました;
(使徒1:8)
「聖霊があなた方の上に臨むとき、あなた方は力を受けます。
そしてエルサレムばかりではなく、ユダヤとサマリヤの全土で、
また地の果てに至るまで私の証人となる。」
そして「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい」と命じられ、天に昇っていかれました
→もう目に見える在り方でイエス様と交わることは出来ません
→もうイエス様の声を聞くこともできません 弟子たちはどんなに不安だったことでしょう!
弟子たちはイエス様がそう言われたのだからと、彼らは待ちました
→祈って待ったのです…
→そしてさらに十日がたち…
ペンテコステ(50日目の祭り)に、イエス様の約束通りに、弟子たちの上に聖霊が降りました。その日起こったことは 弟子たちには全く予想もしなかった出来事でした:(2~4節)
2すると突然、天から、“激しい風が吹いてくるような響き”が起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。
3また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。
2節では天から、「激しい風が吹いてくるような響き」が起こったのです。風は、旧約以来、聖霊を指し示す「象徴的ことば」です→「聖霊が降った」ということを告げているのです
3節の「炎のような分かれた舌」?→聖書はここで「聖霊が降った」そのことを告げています。
2.聖霊のお働き(4~13)
2.1弟子たちは他国の言葉で語りだしたのです
さあそれでは、この聖霊が降った時に何が起こったのでしょうか…
4 すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国(9~11)のことばで話し出した。
なんという不思議ではありませんか聖霊に満たされると→あのガリラヤの漁師の弟子たちが…いろいろな国の言葉で語りだしたのです!
2.2弟子たちは何を語ったのでしょうか
11ユダヤ人もいれば改宗者もいる。またクレテ人とアラビヤ人なのに、あの人たちが、私たちの色々な国のことばで
神の大きなみわざを語るのを聞こうとは。
9~11節に記されている国、地方は当時知られていた世界と考えてもよいと思います
→聖霊は、あのガリラヤ湖の田舎者に外国のことばまで話せるようにするんだー
聖霊なる神がしたこと、それはイエス様の弟子たちが
「イエス様によってもたらされた神の救いを、あらゆる国のことばで語り伝えること」
→宣教であったのです!
→皆さん、救われた者の使命は…その神の救いの恵みを大胆に語ることでしたー
皆さん、このようにしてガリラヤの漁師たちから始まった、「神の救いの恵みが」イスラエルから見れば 地の果てとも、いえるこの日本にも語り伝えられて、私たちにも恵みの業を起こされていることを思うと
→これすべて、ペンテコステの日に下った聖霊の御業なのですネー
→宣教する力であったのですネ→その働きが「使徒の働き」に語り続けられています
3. 教会ができた(14~41)
イエスさま→信じる弟子たちへの約束は次のみことばでした;
(使徒1:8)
あなた方は力を受けます。
そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、
および地の果てにまでわたしの証人となります。」
この「力」ですがデュナミス(原語・ギ語)=ダイナマイトです。 神は信じる私たちに「ダイナマイトの力」を与えてくださるのです。皆さん、ダイナマイトの働きとは何でしょうか? まずその岩に小さな穴をあけ、その中にダイナマイトを入れます。そして、それに火をつけるとき→その硬い大きな岩が砕かれますネ
主はそのように私たちを用いて、宣教に立ちはだかる山を砕きたいと願っておられますー
〔高木の献身の証し〕
・私は2002年6月に62歳で会社を定年退職しました。元気な私…私のこれからの生き方を求めて祈っていまし
た
・その年の秋、その日は須磨の鉢伏山に登り眼下に
淡路島→明石大橋→神戸市の垂水の町→青山台→桃山台→つつじが丘→加古川→姫路…と見渡せました。
そこで聖書を開き祈っていました
・その時に示されたみことばが(使徒1:8)でありました
「しかし、聖霊があなた方の上に臨まれるとき、あなた方は力を受けます。
そして、淡路島→明石大橋→神戸市の垂水の町→青山台→桃山台→つつじが丘→加古川→姫路
および地の果てにまでわたしの証人となります。」
→このみことばが、私に迫り、私から離れないのです
・その後 私は直ぐに家族と話し合いし 神戸ルーテル神学校入学を決心し願書を提出しました。翌年明け直ぐに受験
し→幸いに合格し、62歳から大変な中でしたが3年間の学びが続けられました
・私65歳で卒業し…いよいよ献身の生涯が始まった次第です
・あれから16年→紆余曲折の大変な時を過ごさせていただきました。皆さん、65歳は当時の日本では牧師の引退の年齢でしたから、その16年の間 牧師への道はそれは…大変でした;
・妻はガンで召されました、そんな中で…開拓伝道もしました
・日本伝道隊で正教師按手を受け、母教会で副牧師をしてました
・幸いにも私は台湾宣教師中田和子さんと再び結婚することが出来ました、夫婦二人での牧会活動ができるように
なりました!
・けれども、母教会から出て札幌市の教会に異動し、かの地で7年間の牧師活動も経験しました
・そして、一昨年4月この上岩出キリスト教会に赴任してきました
元気が与えられみなさんと一緒に教会でご奉仕することができて感謝しています
振り返って、人生100年時代の今 主のあわれみの中で、健康と元気を守られ、北は北海道、南は沖縄、台湾の地で主の証人として奉仕活動できていること→心から主に感謝しています!
さて、聖書に戻ります…(使徒2:37、40~41節);
37人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに。「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか」といった。
40 ペテロは、このほかにも多くのことばをもって、あかしをし、「この曲がった時代から救われなさい」と言って彼
らに勧めた。
41そこで、彼のことばを受け入れたものは、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた
ペンテコステの日に、聖霊が降り→聖霊に満たされ、聖霊に導かれるままに語ったペテロの勧めに、人々は「私たちはどうしたらよいでしょうか」と尋ねました
人々はペテロの勧めに従ったのです;
・人々は悔い改めをしました
・バプテスマ(洗礼)を受けました→そして、聖霊をうけました
その日に3千人がバプテスマを受けたと記されています…リバイバルが起こったのです…ハレルヤ!
私はイスラエル訪問の時に その3千人がバプテスマを受けた跡地を見てきました。
さあこのようにして、教会が誕生したのです。驚きですね;
・人は心から悔い改め→バプテスマを受けたときに
・その賜物として聖霊を受ける
4. 教会の使命(42~47)
使徒ペテロの心を打つ説教に対して 民衆の熱烈な応答によって皆が救われ→教会ができました
→では教会では何をしていたのでしょう?
42そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた
これが初代教会のしてきたことであります;
2) 教会では交わり(→コイノニヤ)をしていました
3) 教会は「パンを裂くこと」をしました
4.1 彼等は「使徒の教え」を堅く守りました
教会とは何か、また教会が果たすべきことを堅く守りました;
1)その第1は→礼拝です
礼拝でイエスさまの言われたことばを聞きました→礼拝第一です
なぜ?→その礼拝で恵み(赦し、いのち)を受けるためです
→聖霊を送っていただくことです、聖霊を満たしていただくことです
「しかし、聖霊があなた方の上に臨まれるとき、あなた方は力を受けます。そして、…わたしの証人となる」
→イエスさまのことばを生きる力をいただくのです
→そして、わたしの証人となる→“宣教すること”でした
今日この教会では月に一度聖餐式が用意されています。私たちはメッセージと聖餐式によって恵まれます→聖霊を満たしてくださいますよ。
聖霊の満たしを受けるとき、この1週間の中でも聖霊によって助けられ1日1日を過ごすことができますネ
4.2 教会は交わりの中にある
霊はコイノニヤ(交わり)を生み出します。この交わりはただ単に、教会内における「人間同志の親しい関係」ではありません
→聖霊に基づく、キリスト者の霊における兄弟姉妹としての交わり
→神の家族としての交わり、霊の交わりのコイノニヤ(まじわり)です
上岩出教会では「神の家族」のコイノニヤ(交わり)を大切に思い神の家族としての行事を大切にしてしています;
・食事の交わり:礼拝後に行いますが、目下コロナのために禁じられて→控えています
・誕生日の祝い:月の初めの礼拝でその月お誕生の方のお祝いをし記念品を贈らせていただいています
・母の日・父の日・子供の日の祝い:それぞれ年一度ですが記念品を添えて、祝福の祈りをします
・召天者記念会:信仰の先人の証などをお聞きし、私たちもその信仰の先人たちを偲び、ならいたいと願い毎年記
念会を持ちます
このほかにも、神の家族としての関りごと→例えば結婚式、葬儀など霊的な関りごとがあれば、ご希望に沿って取り行ってまいります
4.3 教会は「パンをさくこと」に従事する
コイノニヤ(交わり)は食事を共にすることが基本です。
また、最後の晩餐で、主イエスが「パンを取り…裂いて」(ルカ22・19)十字架の死の意味を弟子たちにおしえられたことに基づいています
→聖餐式を行います→また、これらのことのためにキリスト者は食事を共にしました。
4.4 教会は祈りを捧げる
「祈り」はその弟子たちが イエスさまとの交わりのための手段です。
「教会は祈りの家といわれるべきである」の如く、祈りこそが主イエスとの交わりの手段です
→主イエスはこの交わりを待っておられます
→主イエスはこの交わりを通して、私たちに恵まれようと待っておられます
→神は祈りに必ず答えられます
たとえ人間的な視点から見て不可能と思えることであっても、その祈りのゆえに、神のみわざが神の栄光のために、神の方法において必ずなされることを信じましょう
皆さん、この上岩出キリスト教会の使命もまた、ここから学び取っています
上岩出キリスト教会の使命;
1.礼拝すること、そして聖書を学び 祈ること
2.(コイノニヤの)交わり→神の家族の交わりをすること
3.宣教すること→コロナ下では近き隣人に関わること
にあると信じて進んでいます…
皆さん、何よりもまず礼拝に出て→聖霊に満たされて(主の恵みに守られて)、賢く私たちへの使命を果たしていこうではありませんか…アーメン! 了
2022.6.18
主 題:「生まれつき足のなえた人 の癒し」
聖 書:使 徒 3:1~16
(はじめに)
この前の私の礼拝説教はペンテコステの日に起こったことでした。ペンテコステの日に、聖霊が降り、驚くことが起こりましたですネ:
・あのガリラヤ湖の漁師たちであった弟子たちが、色々な外国のことばで神の大きなみわざを語りましたネー
・聖霊に満たされ、聖霊に導かれるままに語ったペテロの勧め(第1回ペテロ説教)に、人々は「私たちはどうしたらよいでしょうか」と尋ね→ペテロの勧めに従ったのです;
・人々は悔い改めをしました
・バプテスマ(洗礼)を受け→そして、聖霊をうけました
・その日に3千人がバプテスマを受けたと記されています
さてペンテコステの出来事により 誕生した教会は;
・復活され→生きて働かれるイエス・キリストによって、主イエス・キリストのみことばと業とを受け継ぎ…
・“主イエスの救いのみ業を宣べ伝える群れ”として造られました
ではその教会では何をしていたのでしょうか? 見てみましょう
(ルカ2・42)
そして、彼らは・使徒たちの教えを堅く守り、
・交わりをし、
・パンを裂き、
・祈りをしていた
→これが初代教会のしてきたことであります
皆さん、この教会の使命は、この聖書の昔の話にとどまらずに この上岩出キリスト教会もまた、ここに立っていることをしっかり覚えたいと思います、
1.イエス・キリストの名によって歩いた足のなえた人(1~10)
3:1 ペテロとヨハネは午後三時の祈りの時間に宮に上って行った。
3:2 すると、生まれつき足のなえた人が運ばれて来た。この男は、宮に入る人たちから施しを求めるために、毎日
「美しの門」という名の宮の門に置いてもらっていた。
3:3 彼は、ペテロとヨハネが宮に入ろうとするのを見て、施しを求めた。
3:4 ペテロは、ヨハネとともに、その男を見つめて、「私たちを見なさい」と言った。
ここに、40を過ぎた(4・22)「足の不自由な物乞い」するしかない男と、主イエスの弟子である「ペテロとヨハネ」との出会いの時が起きました。
しかし、4節のペテロは、ヨハネと共にその正面から、その人を見据えて、しっかりとその人を見つめたのです
→この男に関心をもってじっと見つめたのです
→皆さん、これが主イエスの宣教のやり方であります(ルカ5・47)
そのことを知っているイエスの弟子たちもまた、そのやり方をまねしてゆきました。
「私たちを見なさい」とは:
「私たちを生かし、私たちを救い、私たちと共におられる方主イエスキリストを、私たちを通して見なさい」
と、そのように言っているのだと思います
もう一度言います、皆さん!;
この日本においても、キリストを知ろうと思えば、キリスト者である私たちを通して知るしかないのです、私たちの言動を通して人々はキリストを知るのですネー
→福音宣教という視点から言えば;
・それぞれの持ち場立場で、その隣人と関わることから始まりますネ
・キリスト者である私たちの言動を通して、その背後にあるキリストを示してゆきます
5男は、何かもらえると思って、ふたりに目を注いだ。
6するとペテロは、「金銀は私にはない。しかし、わたしにあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって歩きなさい」と
6節「金銀は私にはない」
皆さん、この言い切り方は なんと清々した言葉ではありませんか!
教会が持っており、与えることができるもの
×金銀ではありません…この場面では
◎「イエス・キリストの名によって立ち上がらせ、歩かせることです」
この「主イエスがしてくれたように、自分もする」→このことに生きることこそ、聖霊を受けた人の歩み ではないでしょうか!
さて、教会とは、そのようにしていつの時代でも;
・主イエスによって→聖霊によって自分がしていただいたことを隣人にする
・そのことによって、キリストのみ業の手先として用いられられてきた
→といえるのではないでしょうか!
私たちもそうです。キリストに愛され、教会に愛されてきた。だから隣人を愛するのです→ここに聖霊の働きが現れているのです、ね。
8おどり上がってまっすぐに立ち、歩き出した。そして、歩いたり、はねたりしながら、神を賛美しつつ、ふたりといっしょに宮に入っていった。
その運ばれて来ていた彼は、おどり上がってまっすぐに立ち、歩き出したのです。それまでの彼は今まで40年の間神殿に入ることが許されていませんでした。しかし、今や皆と共に神殿に入ることができるようになったんですよー!
そして、皆と一緒に神を賛美できる者となったのです。あー40年もの間自分にとっては閉ざされ→あきらめ→のろってもいたであろうが
→この男は今まで味わったことのない喜びを味わいました、今まで40年もの間はいることのできなかった神殿に入
り、神様との親しい交わりに生きるものとなったのです!
→これが主イエス・キリストの名によって与えられた救いによっても たらされた出来事です、ネ皆さん→ハレルヤー!
彼がペテロとヨハネに求めていたのは→いくばくかの小銭ではなかったでしょうか→しかし、彼が与えられたもの
は;
・自分の足で歩き
・人と対等に交わり
・神殿礼拝に参加することができるようになり
→明日への希望をもって生きることができる新しい人生でした!
→その喜びのゆえに、彼は神を賛美しないではいられなかったのです!
神を褒めたたえる、主を賛美する→これは主イエスに救われた者に与えられるあたらしい世界の はじけるような喜びですネ
10そして、これが、施しを求めるために宮の「美しの門」に座っていた男だと分ると、このひとの身に起こったことに驚き、あきれた。
人々はこの男に起こった→主を褒めたたえる姿に驚きました。彼がいつも「美しの門」に座って施しを乞うていた人
であることが気付いたからです
→キリストの救いに与った人を見ると、人々は驚きますネー
2.あの足の癒しはイエスの名によるのです(11~16)
人々は、このような奇跡を行ったペトロとヨハネに注目していました。しかし、ペトロはまず始めに、そのことを否
定します。
12わたしたちがまるで「自分の力や信心によって、この人を歩かせた」かのように、なぜ、わたしたちを見つめるのですか。
と言うのです。奇跡をした人を神様のように崇める。これは、どの時代、どの国にもある宗教感情でしょう。これに対して、ペトロは“いや違います”と告げているのです
16 そして、このイエスの御名が、その御名を信じる信仰のゆえに、あなたがたがいま見ており知っている この人を強くしたのです。
そのペトロは、それは驚くに当たらないことだ、つまり当たり前のことだと告げるのです。何故なら、死人の中から復活されたイエスがそれをされたからです、と言うのです。
イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの目の前で“完全なからだ“にしたのです、と。
〔高木の証詞―野池師の癒し〕
本文に戻ります
奇跡はあります。教会においても、奇跡は起きましたし、今も起きています。しかし、その奇跡を行うのは主イエス・キリストであり、聖霊の力なのです。
ペトロがこのような奇跡を行ったのも、「ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」と命じたのであって、主イエス・キリストの現臨と力とを示したに過ぎないのです。
ペトロは断じて、自分の力によるなどとは考えませんでした。キリストの弟子とは、このキリストの力の証人であり、キリストの現臨を示す器であると考えています。
その上で、このイエスを、あなた方は殺した。そうペトロは告げます:
13…私たちの父祖たちの神は、そのしもべ・主イエスに栄光をお与えになりました。あなたがたは、この方を引き渡
し、ピラトが釈放すると決めたのに、その面前でこの方を拒みました。
14 そのうえ、このきよい、正しい方を拒んで、人殺しの男を赦免するように要求し、
15 いのちの君を殺しました。しかし、神はこのイエスを死者の中からよみがえらせました。私たちはそのことの証人です。
イエス・キリストを裁いた→ピラトの裁判のことです、ネ:
「あなたがたはこのイエスを引き渡し、ピラトが釈放しようと決めていたのに、その面前でこの方を拒みました。
聖なる正しい方を拒んで、人殺しの男を赦すように要求したのです。」
「あなたがたは、いのちへの導き手である方を殺してしまいました。」
主イエスの十字架の場面を再現するかのように、正確にペトロは告げます:
・ピラトは釈放しようとしたのに、あなた方はそれを拒んだ
・そして、バラバ、バラバと叫び、人殺しを赦すことを要求した
・そして、あの方を→「十字架につけろ!」「十字架につけろ!」、と
と叫び、殺したのだー
明確にペトロは主イエスを殺した罪を人々に告げるのです→主イエスが十字架にかかって死んでから、まだ2ヶ月程しか経っていない。人々の記憶には、まだあの主イエスが十字架におかかりになった日のことが、しっかりと残っていたことでしょう。
主イエスを十字架けかけて殺したのはあなた方だ。しかし、あのあなた方が十字架にかけて殺したイエスは、復活したのです。私たちはその証人です。そして、この男も又、主イエスの名によっていやされたのです。
→これ程、あの十字架にかけられたイエスが神様から遣わされた方であることの確かな証拠はないでしょう。だから、少しも驚くことではないのです。そうペトロは告げたのです。
又、あの主イエス・キリストの十字架は誰のためであったのか、誰が十字架にかけたのか。それは私たちのためではなかったか→私たちが主イエスを十字架に架けたのではないか。このことを告げました。
私は、この罪を告げるペトロは、決して上から目線で ものを言ってはいなかったと思いますネー 、
何故なら:
・この主イエスの十字架の話をした時、ペトロは、自分が三度主イエスを知らないと裏切ったことを抜きには語れ
るはずがなかったからです
・私も罪人だった。しかし、今、復活の証人とされている。何という恵み、何という神様の憐れみ
・あなた方も、この恵みに、この救いに招かれているのだ。どうか、この救いにあなた方もあずかって欲しいー、
と
→この思いの中でペトロは語っていたのではないかと思いますネー
だから、ここでの悔い改めなさい、立ち帰りなさいという勧めも、共に主イエスの赦しに与る者として、同じ罪人であるという所に立ちつつ、招いている。だから、心に届いたのではないかと思いますネー。
そして、このような内容を語るペトロの言葉には:
・キリストによる救いの確信と
・何としても救いへと招きたいという熱意と
・福音の真理の単純さがあったと思えてならないのです
それは、キリストの愛を受け、キリストの愛に生かされ、キリストの愛を現す者とされた者の言葉であったと言えると思わされています。
さあ皆さん!
救われて、この上岩出キリスト教会につながる皆さん、教会の使命の原点にもう一度立ち返り、キリストの愛を受け、キリストの愛に生かされ、キリストの愛を現す者とされたことを自覚し、それぞれの所で関り、この福音宣教にかかわらせていただき、用いられていきたいと思わされています。
ここまでといたします。アーメン
2022.6.25
聖 書:使 徒 4:1~22
(はじめに)
ペンテコステの出来事により 誕生した教会は;
復活され→生きて働かれるイエス・キリストによって
・主イエスのみことばと業とを受け継ぎ…
・“主イエスの救いのみわざを宣べ伝える群れ”として創られました
そして主イエスの弟子たちは、そのみことばと業によって;
・主イエスは生きて今ここにおられることを、
・また、主イエスの救いのわざは終わっていない
→今もここに続いていることを、示し続けました
今朝の使徒4章のみことばも、そのような証言の一つです→ここで証言者として立っているのは、使徒3章のペテロとヨハネであります;
・二人がエルサレム神殿の「美しの門」で、足が不自由な物乞いの人が運ばれてくるのに出会いました
・「金銀は私にはない。私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」と告げ→この男を癒しました
・この男の人はおどり上がってまっすぐに立ち、歩き出し、二人といっしょに神殿に入って→神を褒めたたえました
・この時神殿に来ていた人々は驚き、ペテロとヨハネとこの男の人の回りに集まって来ました
・ペテロは集まってきた人々に向かって…
「あなたがたが十字架につけて殺したイエスは、死人の中から復活した真の救い主、メシアであり、この方の名によって男の人は癒されました。罪を赦され、救われたいなら、悔い改めなさい。」と語りました、ネ!
それでは今日の4章に入ってまいりましょう。
1.捕らえられたペテロとヨハネ (1~4)
1彼らが民に話していると、祭司たち、宮の守衛長、またサドカイ人たちがやって来たが、
2この人達は、ペテロとヨハネが民を教え、イエスのことを例にあげて死者の復活を宣べ伝えているのに困り果て、
3彼らに手をかけて捕らえた。そして、翌日まで留置することにした。
ここにキリスト教会最初の妨害が起きました。二人は捕えられて、牢に入れられたのです。
二人が捕らえられたのは…彼らが語っていたことが;
・十字架につけられて死んだ主イエスが 復活したこと
・そのイエスの御名が→この足なえの男を強くし癒したのです
→と主張するからでした
サドカイ派の人々はこの主張は受け入れられません→それで神殿の秩序を乱すということで捕らえたのです。
当時のユダヤ教には、二つの大きなグループがありました→サドカイ派とパリサイ派です;
サドカイ派:エルサレムの神殿を中心とする 大祭司や祭司たちを中心とする、いわゆる神殿貴族とでもいう人達
→この人たちは天使や復活を信じません
パリサイ派:町の会堂を中心とする 律法学者を代表する人々です
→この人たちは天使も復活も信じていました
このサドカイ派とパリサイ派の人々で構成されていた→当時の最高権威であったのが→“サンヘドリン”と呼ばれる
議会でした。
このサンヘドリンと呼ばれる議会で、わずか2ヶ月前に主イエスは裁かれ→ピラトに渡され→十字架にかけられたの
です。
2.これは何の権威か、誰の名によってか(5~12)
7彼らは使徒たちを真ん中に立たせて「あなたがたは何の権威によって、また誰の名によってこんなことをしたのか」と尋問しだした。
サドカイ派の大祭司たちは、主イエスの復活が宣べ伝えられているのに苛立って二人を捕らえました;
・しかし、そのようなことを直接問いただすようなことはしませんでした
・多分そのようなことを言い出せば、復活を信じているパリサイ派の人々と対立することになるからだと思います
→その代わりとして、「何の権威で」と問うたのです
この時ペテロは実に堂々と答えています;
8 その時ペテロは聖霊に満たされて、彼らに言った。「民の指導者たち、ならびに長老の方々…
ペテロの堂々とした答えは→実に聖霊で満たされた結果でした;
・ペテロたちは一晩牢に監禁されていたいたのですが、どう答えようかとは 考えていなかったことでしょう
・何の権威によって…?
ペテロは自分の身に起こったことを語っただけではないでしょうか;
「主イエスは真の救い主であり、十字架にかかり→復活され→この方により、自分は救われたことを…」
ペテロは大祭司や律法学者たちを論破しようとして、語ったのではないと思います:
→「ペテロは自分に起こったことを語っただけだ」と思います
→ 福音は単純ですネ:
・主イエス・キリストはまことの救い主であり
・十字架にかかり復活された方だ
・この方によって、自分は救われた
それだけのことです。
私たちもまた、そうだと思います;
・私に起きた…主イエスキリストによる救いの出来事を語ればよいのです
・私に起きた…聖霊による御業のことを語ればよいのではないでしょうか
ペテロは最初に、今自分が取り調べを受けているのは、昨日自分たちは、自分たちが足の不自由な人をいやしたからだ、と改めて確認したと思います…
→なんら取り調べを受けなければならないことではないではないか…とそう語り始めています
→この人が癒されたのは、あなたがたがついこの前に十字架につけて殺し、復活されたイエス・キリストの名によってであります、と
そして最後に;
12この方以外には誰によっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです
と告げるのです→このペテロの宣言は、ペテロの信仰告白ですネ!
皆さん、ペテロは;
・キリストによって救われ、
・その救いの恵みをひとりでも多くの者に伝えるために立てられた者です
・あなた方も全ての者はこの方によって救われるョ…とそう告げたということなのです、ね
〔私の証〕
1.私が会社定年退職後に献身したわけ
・私が49歳で洗礼を受けました
・その2ヶ月後の子会社に(役員兼工場長として)出向となりました
・当時の親会社と子会社との関係が悪く→結果、私は孤独な上司となりました
・会社では毎日毎日問題が起こります、また問題が見つかります
・そのことの正しい解決に一人で悩み苦しみました
・その苦しみの中で、救われていたので→祈ること、聖書を読むことに気が付きました
・そして、問題の都度→正しい解決をしていただきました
→毎日毎日→毎月毎月→毎年毎年…このことが続きました
そして私は知りました…入社時も求めた幸せの青い鳥→それは、主にある平安だ!と
→この喜び、この平安を 自分だけではなく…労苦の中で働く、多くの働く人々に伝えたい!
→召命のみことばは(使徒1:8)
ということで、わたしが神戸ルーテル神学校にチャレンジした時は62歳
→神学校卒業は65歳の時でした…牧師の定年の年にJEBに入ったのです!
2.ついでに、私がこの年になって上岩出教会に来たわけ
・神学校卒業し母教会の塩屋キリスト教会で7年奉仕の後→北海道では7年間の教会奉仕でした、が
・妻である和子牧師は2度の肺炎となり→この地に住み続けることは出来ない→暖かい所へと祈ってきました
・牧師定年の65歳でこの道に入った私の思いは…;
×もう80歳
◎まだ80歳ョ!…→人からはモーセのようね、とも
私自身は老害にだけはならないようにと戒めています。皆様よろしくお願いいたします、ネ!
3.神に聞き従うか、それとも 人に聞き従うか (13~22)
11『あなたがた家を建てる者たちに捨てられた石が、礎の石になった』というのはこの方のことです。
ペテロとヨハネを取り調べた大祭司や律法学者たちは…当時のユダヤ教の高度な学問を身に着けていました
→がしかし、彼らはイエス・キリストを知らなかった。
その中でペテロが語った11節のみことば=詩編118:22節のみことばであることは彼らはすぐに分かったことでしょ
う。しかし、ペテロがやって見せた このみことばの解釈に驚いたのです;
“大祭司たちが捨てた石である主イエスが、建物→神の家→教会…この教会が神様の救いのために無くてはなら
ないものとなった”
大祭司たちはこんな解釈を聞いたことがなかった…
→これは主イエが復活して40日間にわたって 弟子たちに語り、教えてきたことと思いますが
→ペテロは見事に旧約から主イエスを解き明かしたのであります
大祭司たちは ペテロの大胆な解き明かし、そのことばに驚きました。がしかし、14にあるように、ペテロとヨハネ
のそばに、いやされた男の人が立っているのを見て…何も言い返せなかったのです!
14そればかりではなく、いやされた人がふたりといっしょに立っているのを見ては、返すことばもなかった。
このいやされた男の人が 最高議会で 緊張したやり取りの場でただ立っているだけです、が
→この男の人の存在が大祭司や律法学者たちに反論させなかった、反論できなくしたのです;
イエス・キリストの名によって癒され、立てないはずの者が立ち上がり、歩いた、そして神殿に入って主を賛美した→その本人がここに立っているのです…
→この事実こそ、イエス・キリストが誰であるかを雄弁に物語っていたからです
→この事実を否定することは、大祭司や律法学者にもできなかったのです
主イエス・キリストが救い主であるということは
→この方によって救われたものの存在が、何よりも説得力を持つということを語っているのです、ネ
→私たちは雄弁に語ることは出来ない者です。しかし、私たちは自らの存在をもってキリストを証し、関わって行く者としてくださいと願います…→皆さんアーメンですか?
18そこで彼らを呼んで、いっさいイエスの名によって語ったり教えたりしてはならない、と命じた。
19ペテロとヨハネは彼らに答えて言った。
「神に聞き従うより、あなたがたに従う方が、神の前に正しいかどうか、判断してください。
20 私たちは、自分の見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいきません。」
大祭司や律法学者たちは、ペテロに反論もできず→ただ18節の命令を出しただけでした。
この時のペテロとヨハネの答えは明確でした→今日のメッセージの
タイトルです;19節
「神に聞き従うか、それとも 人に聞き従うか」
このように、二人は一歩も引きませんでした…
ペテロの勇気はどこから…?;
×ペテロ自身の勇気→それは主イエスが捕らえられ、大祭司の家
で三度イエスを否んだ時に崩れてしまいました
◎聖霊によって与えられた力=ダイナマイトの力です
→ペテロは変えられたのです
→復活の主に出会い、救われ、聖霊を注がれ変えられたのです
→新しい者へと変えられたのです
ペテロとヨハネは続いて20節で語ります;
20私たちは、自分の見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいきません。
キリストの福音はこのように黙ってはいられない、話さないではいられない人々によって伝えられてきました。
そして、このように人を動かされるのもまた→聖霊なる神さまの働きなのです、ネ。
メッセージは以上です、次のみことばを唱和してお祈りしましょう;(使徒1:8)
「聖霊があなたがたの上に臨むとき、
あなたがたは力を受けます。
そして、エルサレムばかりではなく、
ユダヤとサマリヤの全土で、
そして地の果てに至るまでわたしの証人となる。」 アーメン
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